「バイオ」の語源とは。その定義と展開についてのノート

「バイオ」の語源とは。その定義と展開についてのノート

「バイオ」の語源とは。その定義と展開についてのノート

当団体はLife-science Initiative Program と銘打って、「バイオ」系学生や若者のための活動を行っています。

「バイオ」といえば、最近は一般的によく使われている言葉だと思いますけれども、そもそもこの「バイオ」とは、いったいなにを指す言葉なのでしょうか。

 

私たちはトップページで、「バイオ」の分野の定義を「生命科学、ヘルスケア、医療薬学、農学、有機化学、生物学・・・」と書いて、その範囲をややごまかしています。しかし、それは単に私たちの定義があいまいだ、ということではありません。私たちの団体にかぎらず、近年の「バイオテクノロジー」の飛躍的な進展は、「バイオ」という概念が指し示す範囲を大きく広げたために、その内容を簡単に指し示すことができなくなりました。

 

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そもそも今までの日本語圏において、「バイオ」という言葉が単独で存在することはあまりありませんでした。「バイオ~」は接頭語であり、「バイオテクノロジー」「バイオハザード」など、他の単語とくっついて1単語を形成します。それが、バイオ◯◯という言葉が増えるにつれ、「バイオ」という概念が形成され、生命・生物に関連することを総称する言葉となりました。

 

そもそも、バイオとは英語の “bio-” の訳ですが、最初にこれを「バイオ」とそのままカタカナにしたのはいつごろの事だったのでしょうか。

CiNiiや国立国会図書館のNDL-OPACなどで調べると、1910年代から使用例があるようです。例えば、1915年の『動物学雑誌』27巻320号には、「バイオメター」という言葉が登場します。

●バイオメター
『シカゴ』大学のマシュース教授の下に生理化学教室の講師たるドクトル田代四郎は数年来生物の新陳代謝に就いての精細の研究を積み、遂にBiometerなる装置を発明せり。これ極少量の二酸化炭素を測定するに、水化バリウムの滴の表面に、炭酸バリウムの結晶の生成するにて知る法を用ゆるなり。
谷津直秀「バイオメター」『動物学雑誌』320号、1915年、59頁

あるいは、1916年の書籍に『バイオグラフィカルストウリズ詳解』というものがありますが、これは”Biographical(伝記的)Stories(物語)”の訳なので、現在の「バイオ」概念とは異なるけれども、bio-の訳であることに変わりありません。

その後も、bio-の訳語にはバイオが当てられていましたが、「バイオ」という概念単体で用いられるようになるのは近年のことです。最終的に「バイオ」という概念が形成されたのは、「『バイオテクノロジー』の略」(デジタル大辞林)として、ということになります。

 

さて、ではそもそも英語のbio-とはどのような意味なのでしょうか。Cambridge Dictionaries onlineには、次のように説明されています。

bio-
connected with ​life and ​living things:
​bioethics
​biodiversity
(”bio- Meaning in the Cambridge English Dictionary“)

生命や生物に結びつく語、というこれも非常にひろい定義です。もはや、動くものすべて、と言わんばかり。

 

この英語の”bio-“にも語源があります。それは、”βίος”という言葉。古代ギリシア語において「生」をあらわす単語で、特に「良き生」という意味を持っています。(Henry George Liddell, Robert Scott, A Greek-English Lexicon, “βίος”

この語も今日的な意味での「バイオ」と無関係ではありません。この単語を有名にしているのは、西洋医学の祖であるヒポクラテスによる次の箴言です。

Ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ, ὁ δὲ καιρὸς ὀξὺς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερὴ, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή. Δεῖ δὲ οὐ μόνον ἑωυτὸν παρέχειν τὰ δέοντα ποιεῦντα, ἀλλὰ καὶ τὸν νοσέοντα, καὶ τοὺς παρεόντας, καὶ τὰ ἔξωθεν.
人生は短く、技芸は長い。機会は逃げやすく、実験は危険で、判断は難しい。医者は正しいことをなすよう自ら準備するだけでなく、患者、付添、外界のことどもとも協力しなければならない。
ヒポクラテス – wikiquote

 

ここではβίοςが人生と訳されています。ただ、この「人生」というのは、単に人の生きる時間をあらわすというわけではありません。「人生=よく生きる時間」という意味合いもあります。ストア派の哲学者として知られているセネカの『人生の短さについて』(岩波文庫)などでも同様の用法があり、斉藤博の研究(「ヒポクラテスの箴言「人生は短く,術のみちは長い」について」『埼玉医科大学医学基礎部門紀要』10号、2004年)も興味深いですが、あまり深く立ち入らないようにしましょう。

 

古代ギリシャにおける「人生」、あるいは単に「生」、これはフーコーなどが指摘するように、多分に自己規律的な「生」、あるいはストア派的な「生」を想像させます。その点では、今日の多面的な意味を持った日本語の「バイオ」という概念とはかけ離れています。

 

古代ギリシア語と比較するのは突飛すぎるきらいもありますが、それでも今日の「バイオ」という言葉は、冒頭に紹介した「バイオテクノロジー」の略、という定義からだいぶ広く展開してきているように思われます。

ケンブリッジの定義や大辞林の「他の語の上に付いて、生命の、生物に関する、の意を表す。」という定義さえも、『生物と無生物のあいだ』があいまいな現代社会にあっては、確固たる定義ということはできません。それは複雑系の問題であったり、AIの問題であったりしますが、いずれにしろ「生命とは何か」「生物とは何か」という謎に突き当たり、最終的には「そもそも「生」とは何か」、という問題に帰着していくでしょう。

 

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ここまで問題を推し進めてきたので、最後に、当団体としての「バイオ」の定義を新しく打ち立ててみるのはどうでしょうか。それはつまり、次のような定義になるでしょう。

「バイオとは、生命の謎、生物の謎に関する、の意を表す。」

こういう風に定義すれば、当団体は、生命や生物にまつわる謎に取り組む学生や若者を応援し、新たな「生」を打ち立てるプログラムを提供する団体、ということになるのではないでしょうか。おお、ちょっとかっこいいかんじですね。

 

ただこうなると、万物には八百万の神が宿り生が息づいているからすべての物事は生命の謎に結びついている・・・などと非科学的な主張もでてきそうです。そもそもscienceの訳語たる「科学」とは何か、という大問題が立ち上がりそうなので、本日はこの辺りで。みなさんも、身の回りの「バイオ」について思いを巡らせてみてくださいね。新たな謎を発見したら、それは新しい研究、あるいは新たなビジネスのチャンスです!

 

Writer: げ

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